建設費の一部を出資した企業の看板が天井広告となっており、. そして、数々の無理な注文を形にしてくださった建築家の濱田修さん、藤井工業さんをはじめとする工事関係者の皆さま、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。. 西側の外観は大変美しい佇まいになりました。.
都会から来た若者たちが夜遅くまで働く様子が目に見えることで、. 西側の外壁がボロボロに壊されてしまいました。. そしてアーティストやクリエイターといったおもしろい人が集まる神山町という場所は. 地域とシームレスにつながれるように建物の四周に縁側を取りつけました。. 明るく眺めのいいオフィスとなるように設計しました。. そこで、私たちは2011年に〈寄井座〉のある寄井商店街全体の再生を考える. 広がっているというよりかは、周りに何もない笑). 地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、. 大衆演劇をするための劇場でしたが、時代の変化とともに映画館に転用されます。.
一時、みっともない姿になります… write 明石 博之. こんなオフィス都会では、実現できません。. あきらめず設計に取り組むことができました。. なんだかおばあちゃんの家のような雰囲気で、懐かしく感じる方もいるのではないでしょうか。. では次のストーリーでお会いしましょう!. 20年以上かけて少しずつ育んできた地域への信頼と、. 地震などの影響で会社が停電になって、放送に支障をきたすことのないよう、. デジタルファブリケーション施設〈神山メイカーズスペース〉(KMS)が. 神山の変化に刺激を受けた神山町の若手職員のがんばりもあり、. しばらくして映画館も閉鎖、1960年頃に縫製工場として使われるようになります。. 延焼防止のために消火にあたった消防士によって.
玄関を入って右側にあるのが事務や製品管理などの作業をする事務室です。. 二階の踊り場から、一階で仕事をしているスタッフを見下ろしている光景です。どこから切り取ってみても、何だか非日常感は拭い去れません。この場は、建築家の濱田さんと試行錯誤した結果、必然的にできてしまった回廊です。入り口正面の土間から二階へ上がる通路を確保するため、梁を避けながら、強度を考えながら壁を抜きながら、立体的に複雑な回廊ができました。. どうやって地震に耐えられる建物に改修するのか、. 工事前の古民家は、長年利用されている間に、天井材、化粧材で覆われ、竣工当時の面影が無くなっていました。それらを一度、全て取り除き、老朽化した外装の防水、構造体の耐震補強を行います。最後に、古民家の魅力ある部分を引き出す為に、現代的な素材、対比的な色、形で、モダンにアレンジ。過去に現代を重ねる設計手法を採用しました。.
毎週水曜日は、定例ミーティングの日です。建築家の濱田さん、藤井工業の社長、それに各業者さんが集まり、進捗や予定について情報共有します。要望などがあれば、この日にまとめてお話をします。1週間も経てば、積もる話は盛りだくさんなので、予定の2時間で終わった試しがありません。この場所は蔵の中です。この現場でもっとも暖かい場所であり、落ち着く場所でもあります。その昔、人は蔵の中で眠り、外敵から命を守ったそうです。天下泰平の世のなってからは、大事な家宝を守る場所になったと、ある本で読んだことがあります。蔵の中にいると、なぜかホッコリと安心するのは、日本人のDNAに刷り込まれた記憶によるものなのでしょうか…。. 雨漏りで傷んでいた二階の軒先まわりと、一階の屋根のすべてを撤去しました。表通りをふさいでいた単管の足場をバラして、ブルーシートで被い、かなり、みっともない姿になっています。この家も恥ずかしがっているに違いありません。隣の家々がバカにしている声が聞こえてきます。妄想が働きすぎでしょうか…。. プラットイーズのサテライトオフィスです。. 一部のみを改修し、残りを「成長するオフィス」として手をつけないでおきました。. 内に取り込むことで、広がりと時の流れを感じるオフィスに。. 内川沿いの通路はこうなりました。両隣は空き家です。夜、内川をさんぽしていると、突如として現れる光の通路?!ガルバリウムで覆われた古い町家群に馴染んだ錆びた鉄板の入り口です。昼間、この細くて目立たない入り口を探すのは苦労するはずです。リノベーションをする前から「秘密基地」というイメージが湧いていました。. と言っても、補修があったり、部分的に未完成のところがあったりと、プロデュースを任された身としては、しばらく落ち着かない日々が続くと思います。施主のワールドリー・デザイン代表(つまり、私の妻)には、やりたいことを存分にやらせてもらい、この場を借りて感謝を申し上げます。「ありがとう。」. 事務作業の他にも、製品のメンテナンススペースとしても使われています。. 後に東京で神山での活動をレクチャーした際に. 私が関わった神山町でのプロジェクトを一挙に紹介したいと思っています。. 普段は商店街に住んで大工や美容院などの仕事をしている人たちが、. アーティスト・イン・レジデンス事業やサテライトオフィス事業など、. スケジュールがタイトなプロジェクトだったということもありますが(笑)。. 古民家 オフィス 東京. 少しずつ地域の人たちの心を動かしました。.
入居募集の対象は、岡山県外でクリエイティブ事業またはSOHO事業を営んでいる事業者。5年以上の契約を条件としており、県外企業の人々が家族と一緒に移住することで、人口増加にも繋げたいという。. こういった工事の醍醐味を例えるなら、感覚的には「古いもんと新しいもんが入り交ざっている空間を楽しむ」です。新築の工事で、わざわざ古い部材で組み立てる人はいません。築100年近くの年季の入った柱に、新しく塗り直した土壁が接している部分、あ~、これが萌えるんですね、私たちの世界に限っては。. 〈えんがわオフィス〉は築90年の空き家を再生した. 空き家そのものの価値に気がついていなかったのだと思います。. ・自然に近い環境で仕事をしてみたい人など、. 今回、紹介したサテライトオフィスは視察をすることが可能です(有料)。. 古民家オフィスみらいと奥出雲. 現在は製品のメンテナンス、調査、生産などに利用されているのが、こちらのエリアです。. 皆さんいよいよ夏ですね、空き家再生の季節です。.
そしてここが、中庭に面した土間の部分で、僕が気に入っている空間の1つです。中庭を見つめながら佇んでいるのは、古民家の町家をリノベーションして、オフィスにしようと大決断をしたワールドリー・デザインの明石あおい社長です。蔵の床下に敷き詰められていた砂は、結局、土間の方へ持ってきて活用しました。. 神山の地域のおじいちゃん、おばあちゃんたちは変わることを恐れず、. ピンチはチャンス、もともと採光の少ない蔵に大きな開口部ができるじゃないか、. ですがこの素朴な感じがなんとも懐かしく落ち着いて仕事ができるそんなオフィスです。. 2013年7月に完成した〈えんがわオフィス〉は. ③ 老朽化した外装部(屋根・外壁)の防水性能を向上。. この上の写真は、瞑想部屋と命名された場所で、昔のまんまの蔵の外壁が見える二階の通路です。ここに椅子を置いて、疲れた時や集中したいときに、ボーッと考え込むところです。そういう空間って、大事だと思うんですよね。. 現在、〈えんがわオフィス〉は、母屋棟、蔵棟に加え、新築したアーカイブ棟があり、. 家の中の様子はこんな感じです。ここは作業スペースになるところで、床は断熱材を敷いて、フローリングにします。3部屋続きの空間を使って、壁一面に机と戸棚が設置されます。この部分は伝統的な意匠はあまり残りません。あくまでも機能性の作業空間となります。中庭の柔らかい日差しが最高です。. 京都市立芸術大学講師/坂東幸輔建築設計事務所主宰。1979年徳島県生まれ。2002年東京藝術大学美術学部建築学科卒業。2008年ハーバード大学大学院デザインスクール修了。スキーマ建築計画、東京藝術大学美術学部建築科教育研究助手を経て、2010年坂東幸輔建築設計事務所設立。京都工芸繊維大学非常勤講師。徳島県神山町、牟岐町出羽島など日本全国で「空き家再生まちづくり」の活動を行っている。主宰する建築家ユニットBUSが第15回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展(2016)日本館展示に出展。. 地方創生時代の今、神山町は地方創生のロールモデルとして取り扱われていますが、. 通りすがりの人は、この建物を不思議そうに眺めています。わざわざ昔のデザインに戻すのが不思議だという声も聞いたことがあります。まさか、この建物が事務所になるとは想像もつかないかもしれません。. ガラスのカーテンウォールを取り付けることで. オフィスで働いている様子がガラス越しに見えるようになっています。.
いろいろなメディアに取り上げられる神山町の噂を聞きつけて、. 箱モノ建築をつくっていた時代と何ら変わらないでしょう。. 透明度の高い川や美しい山々に囲まれたすばらしい自然環境、. 〈えんがわオフィス〉のプロジェクトで第一に求められたのは、耐震性です。. Feature 特集記事&おすすめ記事. 今回はfarmoの生産拠点・研究所として使われている、栃木県鹿沼市にあるオフィスを紹介します。. こちらは正面からの入口付近です。こちらの壁はご覧のとおり、土壁と竹木舞を落としてしまい、粗い木ずり壁のような下地をつくっています。あとはメタルラスに土壁です。随分と現代風な仕上だと思われる方もいると思いますが、伝統工法の良さを活かすために、ガチガチの固い壁にしないという方針は変わりません。構造の専門家の方に聞いたところ、大地震が来たとき、多少壊れる壁が良いと言っておりました。一点に力が集中しないことが大事ということですね。伝統工法に関して、私も随分と偉そうなことを言うようになりました。ちなみに、一部、トタンの波板が見えるのは気のせいです。.
〈えんがわオフィス〉が地域の人たちの考え方を変えるきっかけになりました。. 空き家だった新湊の町家が、また1つ、使われる建物として生き返ったわけですが、その一方で、周辺の町家が取り壊されたり、みるみる朽ちていったりと、小さな力で踏ん張ってみても、限界があることを痛感させられます。. 積極的にもともとあるものをリユースすることで. 普通なら解体して新築の建物をつくるところかもしれませんが、.